「今年の漢字」というイベントがあります。僕はあまり興味を感じない分野でありまして縁遠かったのですが今年は特別、我が家では家内が「味」、僕が「覚」を挙げました。
というのも、春先に高校同窓会に参加して気を付けていたのにうっかりコロナをもらってきてしまい5日間発熱に苦しみました。その間、かいがいしく世話をしてくれたのが家内でしたが、やはり二日後くらいに感染してしまいました。で、僕のほうはケロっと治りましたが、家内は気の毒なことに嗅覚・味覚障害が残りました。謝ることしきりの毎日となりました。匂いも味も感じられない家内は、食欲も落ち、体重も減少し、食事もあまり噛まなくなり、そのせいか咽頭(のど)の粘膜が荒れるという副産物まで生じてしまいました。普通のメンタルであれば参ってしまうところですが、本当によく頑張ってくれました。 耳鼻科の主治医先生も、励ましてくださることしきりで、末梢循環・末梢神経改善のお薬で毎日祈るばかりの日々でした。
さて、これを書いている12月6日は嬉しいことに味覚がすべて回復して一週間経ったところです。 年末の楽しい親族の会食に間に合わせるぞ!との意識でやってきた根性はすばらしいです。相談に乗ってくださっていた主治医の先生も、「そのメンタルタフネスさが貴重な回復要素だっただろう」と言ってくださいました。 原因である僕としては、やっと肩の荷が降りるまで半年かかったわけです。 なにせ、全盲の夫を持ってもどこ吹く風のおかみさんでしたから、人生の気合が違います。
今回、申し訳なく思いながらもその半年かかった、所謂コロナ後遺症(long COVID-19)はその回復過程でたくさんのことを教えてくれました。嗅覚のほうが5か月くらいで先に復活しましたが、その嗅覚もまず、臭(くさ)いものばかりが匂うという傾向があり、いい匂い、例えば秋の金木犀などの香りは残念ながらまったく感じなかったのです。もちろんいい匂いもだんだん回復しましたが後回しとなりました。贅沢なものは後回しなんですね。
味のほうはといえば、嗅覚が戻り始めた頃、最初に舌の奥の方に苦味をふと感じるようになりました。喉に近い一番奥の舌部分でした。そして数日経つと、辛味が苦味部分の少し前でわかるようになったそうです。 更に数日後、酸味が舌の側面で感じられるようになります。なるほど、生命にとってうっかり食べてはまずかろうというような拒否反応を示すべき味から戻ってくるのだろうかと、こころ密かに感心しておりました。苦み、辛みは毒でしょうし酸味は腐ったものですよね。凄いなあと思いました。もちろん、僕は栄養学も神経学もまったく引用しておらず、これらの根拠は極めて薄弱です。医師としてではなく、なんとなく人類学的に感心しているだけなのです。そうして、次の段階では塩分の濃さがわかるようになりました。いや、塩分こそは生命活動に必要なものなのに回復が後回しになるというのは驚きでした。さてさて、家内の一番の楽しみであり、切望と言ってよい「甘味」、これがなかなか戻りません。やはり、甘味は人類にとって贅沢な味なんだよと、根本的責任を忘れ賢(さかし)らに言う僕を恨めしそうに見ながら、「だって、そのために半年も我慢してきたんだから!」との本音を聞いて申し訳なさが増すばかりでした。そんな中、ついにその日がやってきました!!
「あれ? なんか、甘い!!」と言う家内の声が、幸せを見つけたチルチルミチルのようだったのがつい先日のことです。感染後半年で、ついに、ついに甘味が完全に戻りました。喜びの絶叫、なるほど五感というのはすばらしいと感心させられました。味覚は舌にある各味のレセプター(受容器)が大脳神経を通って脳の間隔野に届き、味として感知されます。視覚も聴覚も触覚もあらゆる感覚は同じようにレセプターと神経と脳の細胞との連携でできあがっています。
「覚」という漢字は、私の勝手な論理ですが脳において「感」を生むため、レセプターから脳まで「情報」を運ぶ、システム(情報伝達)のことを意味する漢字だと判断しました。 本多学です(笑)
この漢字は、「覚ゆ」(おぼゆ)と読みますが、「憶える」の「憶」とはまったく異なる意味です。しかし、案外間違えて使われていることも多いです。
long COVID-19を経て、復活してくれた家内の長いメンタルタフネスに感謝しながら「覚」の哲学的、生理学的、人類学的意味にたどり着きました。 これは「悟り」に近いのではないでしょうか。
などと、寝ぼけたことを言っているうちに2023年も終わりますね。
みなさんの今年の漢字はいかがでしたか? なんて、こんなイベントに参加する気はなかったのですが・・(笑)
よいお年をお迎えください。
2023年12月6日(水曜日)
本多 伸芳