横浜市鶴見区の内科・循環器内科・呼吸器内科・アレルギー科

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Dr.本多コラム 2023秋 

 こんにちは、くらた内科クリニックのホームページで、ささやかにコラムを担当している 「DR.本多」 です。

お久しぶりです。 年に2~3回程度の投稿となってしまい申し訳ありません。

 2023年は、関東大震災から100年の年だったせいか、記録的な灼熱の夏となりましたね。

 お米も、松茸も、実りはいまひとつのようですし、山から出てきた熊や猪との遭遇や人が怪我をするニュースも増えましたね。

 食料自給率が恐ろしく低い私たちの国にあっては、ロシア・ウクライナ戦争といい、イスラエル・パレスチナの戦争といい留まらない円安も重なって、この国は私たち高齢者のことより、子供たち、孫たちの将来はどうなってしまうのだろうと想像もできません。

 2013年からの 「一強」 と言われた空疎な政権が永く日本を支配しているうちに、 「今だけ、金だけ、身内だけ」 という生き方が日本人全体の 「お手本」 となりつつあります。

 そんな中、今まで隠されてきたか、見ぬ振りされてきたかの驚きの事実が、穴の開いた袋からこぼれだす水のようにあとからあとから露見するばかりのこの1~2年を吾々は過ごしています。

 政治、経済、宗教、芸能、メディアの 「同時多発的ほころび」 は眼を覆うばかりです。

 誰もが、自分のポジションを守ることに汲々とし、正義とは何か責任とは何かの 「自問」 があまりにも薄弱だと思いませんか?

 誰も見ていないところでも、いかに振る舞えるか、自分に嘘をつかずにすむか? そもそも、そういう大人になるための教育ができてきているのでしょうか?

 子供たちが見るおとな達の「背中」は、見るに堪える清冽な頂きのように大きかったでしょうか? 

 私は 「今だけ、金だけ、身内だけ」 のスタンスを聖者ぶって批判できる者ではありませんし、そういう生き方も自由だと思います。ただ、自分に置き換えた時、自分を外から眺めている 「もうひとりの自分」 にどう思われるのか見苦しくないだろうか? 恥ずかしくないだろうか?そういう心構えを持ち続けたいと思います。 これを 「メタ認知」 というそうですが、宗教が根付いた国民性であればそれが 「神の目」 になることになります。

 私は以前、企業の健康管理室でメンタルヘルスの仕事にも関わりましたが、当時は本多式として、 「4つのK」 を提唱し 「気づき、声掛け、傾聴、共感」 をキャッチフレーズにしました。

 しかし、最近思うのですが 「共感」 は少し違うのではないかと思うようになりました。 当時から、けっこう 「共感」 は 「決め台詞」 であり、カウンセリングマインドの重要な要素でありました。しかし、多分に  「ジェスチャー性」 があり、いわゆるカウンセリングテクニックであり、リップサービスでもあり、ひどい言い方をすれば 「騙しの殺し文句」 でもありました。

 しかし、どうでしょう? どんな人でも誰にでもそれが必要だと思っても実際に 「共感」 できるとは限りません。 私もいま、その職を引退してみると二人にひとりは 「共感できない」 人物がいることは確実のように思えます。

 では、どうしたらいいのか?

「あなたの感情に共感はできないが共存はできる、共生はできる」 というのが本当の答えではないかと思うのです。

 意見が違っても、立場が違っても、社会的地位や経済的余裕が異なっても、あなたと共存はできる、一緒に共同体を形成できるはずだ、あなたの立場に入れ替わってもあなたを恨むことはない、そう信じあえる共同体の仲間である、そう言えるならば、共感の同調圧力に屈する必要はないのではないかと思えるようになったのです。 

今年、たまたま読んだ本で、南西太平洋(ラバウル連隊)に展開した日本陸軍の司令長官、今井均さんの人生を追った 角田房子著 「責任」 という本をぜひ推奨申し上げたいと思います。

 軍人の本など読みたくないと思われる方には、最終章の「晩年」と「あと書き」を読んでいただくだけでもいいかもしれません。 ひととして、これほど 「自分の責任」 を問い続けた人物には尊敬と憧憬の念を抱かざるを得ません。 

 私は、学校の教師先生が、道徳と倫理を勉強の教科として教えることに強く反対します。道徳と倫理は個人で見出すものであるはずです。 子供の目は澄んでいます、彼らが判断する 「こんなひとになりたい」は、やはり、人生を賭けてさまざまな読書、芸術、音楽、絵画、文藝などに触れていつか身についていくものだと信ずるからです。

 直近の今は、パレスチナの貧しいひとびとの真の自由と、普通の幸せをこころから祈るばかりです。

2023年10月18日  本多伸芳