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Dr.本多の7月のコラム

 今年2023年の7月、10年ぶりにジブリ映画監督に復帰された宮崎駿さんの 「君たちはどう生きるか」が上映されています。 ご覧になった方もいらっしゃると思います。

私はまだ見ていません(笑)。 実はこの映画は、宮崎さんが少年時代に読んで感動したある本の「タイトル」を拝借しただけで、内容は宮崎監督のオリジナル作品なのだそうですね。 既に鑑賞して来た私の友人たちの話を聞きますと、三者三様、同じ感想は返ってきません。

またその評価は随分違っていて落差があることに驚きます。ただ私は、「宮崎さんが少年時代に読んで感動した」という逸話の方が気になり、原作の聴覚本を見つけ聴読しました。

 原作者は吉野源三郎さんという作家さんで、驚いたことにこの作品はなんと1937年(吉野さん38歳)に刊行されているのです。1937年について歴史の本を調べると(あ、ご興味無い方はここは読み飛ばしていいです 笑)盧溝橋事件、つまり日本と中国の戦争が始まった年で、前年には東京の首相官邸で 「2・26事件」 があった年です。

 そう考えると、この年に刊行された少年向きの本と言えば、皇国史観や教育勅語に則って、国民は皆天皇陛下の子供たちであり、陛下のために死ぬことを辞さないことが教えられているものだと思うのです。 それに、どうして宮崎さんが感動したのか、そこに興味が湧きました。 「風の谷のナウシカ」 から始まって、多くの示唆的なメッセージを送り出してきた宮崎さんが、何を感じ取ったのだろう?と思ったのです。

 吉野源三郎著 『君たちはどう生きるか』 は素晴らしい 「共生」 の本でした。旧制中学(ここの読者はご存知とは思いますが 笑)の4人の少年が仲間で、そのひとり本田純一君という少年が主人公です。

 彼が見た1937年頃の東京都心の風景が今と変わりなく、ビルの乱立や道路を埋めるカブト虫のような自動車たち、ビルの屋上から見下ろす風景、あの時代に東京はもうこんなだったのか!という驚きもありました。

 そんな中、少年たちの日常や気の合う仲間たちとの交流、裕福な家庭の少年の生活や貧しい家庭の少年が店を手伝う姿、先輩の強圧に立ち向かう親友や仲間同士の約束、守れなかった時の苦しみ、誰もが乗り越えてきたような穏やかでキラキラと輝かしい青春が、そこには本田少年を中心に語られます。

 「弱い者いじめ」「勇気とは何か」「強さとは何か」「差別の不条理」などが、さりげなく散りばめられています。 そこには、自己責任というような軽薄で冷酷な社会はありません。

 そして、本田少年の相談相手としてお母さんの弟という 「おじさん」(25歳くらいでしょうか?)が登場し、本田少年との会話の中で、ひとこと一言の感想を語ります。

 各章の最後に 「おじさんのノート」 という章があり、そこはおじさんから本田少年への 「手紙」 という語り方で章が成り立っています。手紙の代わりにおじさんが書くノートです。

 この 「おじさんのノート」 がまた、ぐっとこころに沁みます。 生きることはどういうことか、友達とは何か、正しいことはどう判断するか、正しいと思う行動はどうすればできるのか、できないときはどうするか、謝るとはどういうことか、等々語られていきます。

考えようによっては 「おじさん」 が、彼らが戦争に駆り出されても自分を見失わないようにと祈ってノートを書き綴っているようにも思えます。しかし、そこに書かれていることは現代の2023年の今でこそ、私たちが青春を悩んでいる(かも知れない)若者たちに一番伝えたい、伝えなくてはいけないことだと想うわけです。

 そして、最後にどうして今更こんな 「生き方」 の本に70にもなった私がこころ動かされるのか考えてみたときに、この本のタイトルが 『君たちは、どう生きたか?どう生きて来れたのか?』 と、問いかけてきているのだと気づきました。

 さあ、どう応えられるのか?読み終えて、「うーん、そこそこやれたんじゃないかな?」 と苦笑している私です。